橙武者クイズ文章置き場

クイズ企画者・プレーヤーの橙武者(神野芳治)です。Twitterでつぶやくには長すぎる文章をこちらに置いています。

【mono-series】(4)知らなくていいけど、知ってたらすごい~「競技の一要素としての問題」以外の可能性

「知らなくていいけど、知ってたらすごい」知識

 今回の学園モノシリ、問題を揃えたときに「ちょっと難易度高いかなー」という印象を持ちました。特にペーパー(結果的に最高点は100問中24問正解でした)。
 そのため、開始前になるべくこのようなことを伝えるようにしていました(社会人に対してはうっかり言い忘れてた)。

・モノシリはもともと「知らなくていいけど、知ってたらすごい」という問題を出す大会です。
・ただ、今回は早立ちに難易度低めの問題を集めたので、これから配布するペーパーの難易度については……お察しください……難問ボード20問だと思って臨んでください。
・当日わからなくても、「こういう知識も世の中にあるのかー」「当日はわからなかったけど、後日普段の生活で見た」というようなことを楽しんで頂ければ幸いです。

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 本来、モノシリだけではなくクイズは、本来「知らなくていいけど、知ってたらすごい」性質のものです。そして、「こういう知識も世の中にあるのかー」「当日はわからなかったけど、後日普段の生活で見た」というのも、他のクイズでも感じることはできます(個人的には勝抜杯で感じることが多いです。あの時スルーだった「マヌカハニー」むっちゃ見る……)。
 

 ただ、(何度も書きますが他のクイズを批判するわけではありません)クイズの「競技」の側面を意識しすぎると、この点にどうしても思いが及ばなくなるのでは、という点について書きます。

 

「競技」クイズの「問題」=「競技の一要素」

・「問題に求められるもの」はいろいろ

 「問題自体の面白さを楽しむことができる対象」「知識を介してのコミュニケーションの媒体」など、問題にはいろいろな側面があります。前回「じっくり時間かけて、解説やビジュアルも使って面白さを伝えたい」というのは、ここに関連するものです。

diedie16.hatenablog.com

・ただし、競技で「問題に求められるもの」は、「競技の一要素」

 しかし、こと「競技」としてクイズをとらえると、問題に求められるのは「競技の一要素」です「勝負を決めるための手段」「実力測定するための手段」と言ってもいい。

 一問一問は「優勝を決めるための局地戦」であり、「いかに適切に実力を測定し、勝負を決めるのに支障をきたさないか」ということが、「競技」における問題の第一優先となります。面白さやコミュニケーションは二の次三の次。

・実は、「競技」メインのイベントでなくても、「問題=競技の一要素」 からは避けて通れない

 これはどんな問題傾向でも(モノシリでも!)、さらにはコンセプトでも(バラエティ系でも!)、一問一問に正解/不正解という形で「評価」をし、「一問一問の評価」の蓄積で「No.1」を決めようとする限り、「問題=競技の一要素」からは避けては通れません。

 

 そして前々回書いた通りで、「クイズイベント=競技会=No.1決定戦」というスタイルが「自然」で、そうでないイベントは少数派です。もちろんどの要素に重きをおくか、「問題=競技の一要素」以外の部分をどう強調するかは、さまざまなやり方があります。「あえて表彰しない」というのも一つの手です。

diedie16.hatenablog.com  
 それでも一問一問に評価をする時点で、「問題=競技の一要素」とは無縁ではいられない(順位をつけないクイズをしたとしても、一問単位で「競技」は成り立つ)。

 

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学園モノシリの最終戦・東京校の殿堂。「知らなくていいけど、知ってたらすごい」知識の数々 

「競技の一要素」としての問題を、「知らなくていい」と片付けられるのか?

・勝ちたいときに、「知らなくていいけど」って思える?

 クイズという「競技」における勝負に勝つために、極力穴を無くす必要がある。となると、「知らなくていいけど」と達観できるだろうか。
 「勝つためには知らなければならない」「知らなかったから負けてしまった」と考える人が多いのではないだろうか。僕はそれは、競技者として自然な反応の一つだと思います(そうでなければならない、というわけではありません)。

・「短文基本」は、特に「知らなくていいけど」とは言いにくい。

 特に、「短文基本」と言われる問題で、この点は顕著だと考えます(詳しくは次回また述べます)。
 短文基本の問題の中では、全員スルーになる問題は少数派で、大半は「最後まで聞けば誰かは正解できる」問題です(なんせ「基本」なんだから)。「自分が答えられない」=「他の誰かが答える」=「競技としての敗北に近づく」。だから他のクイズと比べても、「勝つためには知らなければならない」と捉えがち。
 出る可能性のある問題を「知らなくていいけど」とは、なかなか思えない。「勝つ」ために穴を無くす努力が、「競技者」には求められる

・「知らなくていい」と思われがちなのは、「出る可能性の低い」問題。

 逆に言えば、「知らなくていい」と言われがちなのは、「出る可能性のない/低い問題」です。あまり出ないような難易度・ジャンル・切り口などなど。
 「出る可能性の高い問題」の対策で忙しいわけだから、「可能性のない/低い問題」に対しては関心が薄くなるのはやむを得ない。これはこれで「クイズの出題可能性」を狭めることにも繋がる。

 いや、気持ちはすごくよくわかります。競技者としての僕も「どうしても勝ちたい大会の直前」は、「面白さ」で問題を選ぶのではなく、「出る可能性が高いかどうか」を優先する。「競技」に活躍するため、限られた時間の中で精一杯頑張って対策しよう……と思うと、自分だってそうする。

では、企画者としてどうしたらいいんだろう。

 クイズは「競技」としての側面だけではない。そして問題は、「1問正解したら1○」という、「競技のための一要素」でありつつ、それだけの存在ではない。
 「知らなくていいけど、知ってたらすごい」というところを前面に押し出したクイズがあっていいのでは、と思います。

・他のイベントも、「面白さ」「コミュニケーション」を無視しているわけではない。

 もっとも、他のクイズイベントを見ていても、「競技の一要素」として支障がない上で、かつ「問題としての面白さ」や「知識を通したコミュニケーション」を達成しようとしているし、問題作成者の個性もそこに発揮される。特に勝抜杯なんかは典型的な例だと思います。

・ただし、注目が集まりがちなのは、「勝負」「結果」。

 ただ、それでも「この問題を正解したかどうか」「この問題で勝負にどういう影響を与えたか」という点に注目が集まりがちであり、「この問題はこういう点で面白い」「自分はこの問題を○○で知ったけど、出題者はどこで知ったんだろう」というような話題は、まだクイズ界には少ないように思えます。
 自然にすると、どうしてもみんな「勝負」、つまり「競技の一要素」という側面に注目してしまう。

・だから、「面白さ」「コミュニケーション」を大事にしたいなら、前面に出す必要がある。ただ全てのイベントがそうである必要はない。

 「競技性」を重視しつつ、「面白さ」「コミュニケーション」も大事にしてますよ、というのを前面に出す必要があるのかな、と思っています。モノシリであればタイトルやコンセプトに明記したり、終了後に問題投票やったり、Twitter上の交流を促したり、の部分です。
 一方でプレーヤー・観客の立場のときに、「勝負としてどうだったか」だけではなく、もっと面白さやコミュニケーションに注目した反応をすることも重要かな、と。自分は既にやりすぎな感もありますが。

 なお、「競技の一要素」として合うかどうかをを第一にする、そのために「一問一問の面白さ(新しさや言い回し)を重視しない」というのもクイズの一つの形であり、それを批判するものではありません。
 定食には過度に自己主張しない「白ごはん」が合うのであって、「チャーハン」が合わないときもある。その上で、僕は定食に合う範囲で、「シェフのこだわりチャーハン」を出し、それに対して「このチャーハンはああでこうで」と話しかけたいタイプです。そこはいろいろあっていいと思っています。

ところでmono-seriesは?

  モノシリにしても「競技」である以上、問題は「競技の一要素」ではあります。上位を狙うであればそれなりの正解数が必要。
 ただ、「問題としての面白さ」や「知識を通したコミュニケーション」についても、「競技」と両立できるようにする。終了後のTwitterなどでの、全国の出題者・解答者入り混じっての感想の盛り上がり(詳しくはまた述べます)を見ると、ここについてはご支持頂いているのかな、と思っています。

 

 「知らなくていいけど、知ってたらすごい」。最後にあらためて強調しておきます。モノシリは、そういう知識を楽しんで頂く場だと思っています。

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